2022年3月29日9:00
国内における公共交通機関のキャッシュレス決済手段としては、Suica を代表とする、いわゆる交通系IC カードがほぼ標準的な存在となっています。しかし近年では、交通系IC カードに変わる新たな決済手段に注目が集まりつつあります。そこで、これから導入が進んでいくと思われる新たな交通決済手段の動向について紹介します。
平澤 寿康
日本各地で導入が進む、
クレジットカードのタッチ決済
新たな交通決済手段として、いちばん有望だと思われるのが、クレジットカードのタッチ決済です。これは、ロンドン、パリ、ニューヨークをはじめ、海外の交通機関で採用例が多い、「オープンループ」と呼ばれるクレジットカードのタッチ決済を利用した運賃精算の仕組みとほぼ同等のものと考えていいでしょう。
日本では、交通決済として交通系ICカードが広く導入されていることや、クレジットカードのタッチ決済は交通系ICカードのFeliCaに比べて決済処理に時間がかかるといった理由から、公共交通機関での導入は難しいのではないか、と考えている人も多いかもしれません。しかしここ1~2年ほどの間にその状況も大きく変わりつつあります。
国内の公共交通機関で初めて決済手段にクレジットカードのタッチ決済を採用したのが茨城交通です。2020年7月に、勝田・東海-東京線の高速バスに、Visaのタッチ決済対応の決済端末を備え付け、Visaのタッチ決済による乗車を可能としました。また、2020年11月には京都丹後鉄道において、国内の鉄道事業者として初となるVisaのタッチ決済での乗車が可能となりました。いずれも、実証実験ではなく、本格導入に近い形でVisaのタッチ決済を採用している点も大きな特徴です。
それ以降も、国内の公共交通機関でVisaのタッチ決済の導入例が増えています。特に多いのが高速バスや空港と都市を結ぶリムジンバスなどでの採用で、2022年2月1日時点では先ほどの茨城交通をはじめ、16社のバス事業社がVisaのタッチ決済を導入しています。鉄道においては、2021年4月より南海電鉄や福岡市地下鉄にも導入されました。実証実験で期間限定の導入という場合もありますが、2022年2月1日~3月24日まで実施する沖縄県初の観光系路線バス5社での実験を含め、これまでに19プロジェクト、15道府県の公共交通機関でVisaのタッチ決済が利用できるようになっています(2022年2月1日時点)。
いずれも、バスや電車の車内および駅にVisaのタッチ決済に対応したカードリーダーや決済端末を設置し、乗車時と降車時にVisaのタッチ決済対応クレジットカードをタッチすることで、利用した駅間の運賃が自動的に精算され、決済されることになります。気になるタッチ決済時の速度ですが、筆者もいくつかのバスや鉄道でVisaのタッチ決済での乗車を体験してみましたが、意識してタッチする時間を短くしても問題が発生することはなく、多くの人が懸念するような問題は感じられませんでした。国内の交通事業社向けにVisaのタッチ決済対応の交通乗車システム「stera transit」を提供している三井住友カードによると、改札などの通過速度は「十分に許容範囲内」との声が導入した事業社から届いているそうで、速度についてもほぼ心配する必要がないと言えます。
なお、stera transitは、現在はVisaのタッチ決済のみの対応ですが、2023年頃にVisa以外の国際ブランドにも対応する予定で作業が進められています。
国内の公共交通機関でのタッチ決済導入は、もともとはインバウンド需要を見越した取り組みが中心でした。実際に導入した事業社に話を聞いても、一様にインバウンド需要を一定数見込んでいたと話をしています。ただ、先行導入の事業社の反応の良さや、交通系ICカードに比べて導入コストや運用コストが圧倒的に安価なことから、インバウンド需要に関係なく、コスト的に交通系ICカードの導入が難しい地方の交通事業社を中心として今後採用例が増えていく可能性はかなり高そうです。
QRコードや顔認証なども
導入が進む可能性が高い
クレジットカードのタッチ決済と並んで導入の進む可能性が高いのが、QRコードです。公共交通機関でのQRコード利用といえば、これまでは沖縄県のゆいレールや福岡県の北九州モノレールのように、QRコードを印刷した乗車券を利用して、乗車券のQRコードを自動改札機のQRコードリーダーにかざして乗車する、というものが知られていました。
また、2020年2月にはJR東日本が新宿駅や高輪ゲートウェイ駅にQRコードリーダーを備える自動改札機を設置し、QRコード乗車券利用の実証実験を実施しました。こちらも、QRコードを印刷した乗車券の利用を想定した実証実験を行っていますが、Suicaを開発したJR東日本がQRコード乗車券の実証実験を行うということで、大きな話題となりました。
それに対し近年は、スマートフォンに表示したQRコードを読み取って乗車する例が増えています。例えば、福岡市地下鉄は、専用サイトから購入した企画乗車券のQRコードをスマートフォン上に表示し、改札のQRコードリーダーに読み込ませることで乗車できる実証実験を2021年4月から実施しました。南海電鉄も、専用アプリで購入したQRコード乗車券をスマートフォンに表示させて、自動改札機のQRコードリーダーにかざして乗車する実証実験を実施しています。
合わせて、PayPayなどのQRコード決済ブランドで乗車できる例もあります。先ほど紹介した三井住友カードのstera transitを採用する一部事業社では、クレジットカードのタッチ決済だけでなく、PayPayや楽天ペイなどのQRコード決済での運賃精算に対応しているところがあります。QRコード決済は、ここ数年で日本でも利用者が大きく伸びていますし、利用者の利便性を高めるという意味で、既存QRコード決済での乗車を可能とする交通事業社が増えていく可能性は高そうです。
そして、もうひとつ将来性が見越せるのが顔認証です。自動改札機に顔認証用のカメラを設置し、あらかじめきっぷや定期券購入者の顔情報を登録しておくことで、文字通り手ぶらで改札を通過できるというもので、体験という点でも近未来感の強いシステムと感じます。
この顔認証システムを利用した自動改札機の実証実験は、大阪メトロ(大阪市高速電気軌道)やJR東海、富士急行などが実施していますが、中でも本格運用に近い導入を行っているのが、千葉県の山万ユーカリが丘線やユーカリが丘のコミュニティバスです。パナソニックの顔認証技術と、ジョルダンが提供するまちづくりクラウドサービス「JorudanStyle3.1」を活用し、専用アプリに自身の顔情報を登録しておけば、専用アプリで乗車券や定期券を購入することで、顔認証で改札を通過したりコミュニティバスに乗車できます。こちらも実際に体験しましたが、ある程度通過する人の間隔が空いている必要があるなどまだ改善の余地はありますが、認証スピードや認証精度に大きな問題は感じられず、スムーズに改札を通過できました。ただし、問題発生に備えてQRコードを読み込んで乗車することも可能となっています。
顔認証を利用した交通決済システムは、顔情報を扱うことに由来するセキュリティ面でのリスクがありますので、クレジットカードのタッチ決済やQRコードに比べると、使われる範囲は限定的になる可能性もあります。ただ、顔認証は基本的に手ぶらで利用できますので、利用者の利便性を高めるという意味では最も優れていますし、将来有望なシステムであることは間違いないでしょう。
交通決済とMaaSの関係
ところで、公共交通機関が導入を目指している新たな決済手段は、どちらかというと既存の乗車券やICカードの置き換えではなく、さまざまな公共交通機関をシームレスに結びつけた新たなサービスを提供する「MaaS(Mobility as a Service)」の取り組みの一環という側面も強くなっています。
例えば富士急行が2021年11月から12月にかけて行った顔認証改札の実証実験は、パナソニック、ナビタイムジャパンなどと連携し、富士五湖周辺エリア全体の回遊性を向上する観光型MaaS「手ぶら観光サービス」実証実験の一環となっています。この実証実験では、富士急行の一部の駅に顔認証対応の自動改札を設置するとともに、富士急ハイランドをはじめとした富士五湖周辺エリアの観光施設、売店などにも顔認証ゲートや顔認証決済端末を設置。そのうえで、周辺の交通情報、観光情報などを参照できる専用アプリを用意し、その専用アプリで「顔認証デジタルパス」というチケットを購入しクレジットカード情報を登録することで、対象エリアの公共交通機関や観光施設への入場、物品の購買などを顔認証だけで行えるようにしました。
また、福岡市地下鉄は、コミュニケーションアプリのLINEを活用し、LINEミニアプリを利用した企画乗車券購入の実証実験を2020年11月~2021年2月にかけて実施しました。LINEは近年、LINEの基盤を活用したMaaSサービスの提供に力を入れていて、この取り組みもその一環となっています。
LINEだけでなく、PayPayなどのスーパーアプリを目指すサービスでは、MaaSを重要なサービス基盤として取り組みを強化しています。これは、MaaSを実現するには決済手段の用意が不可欠で、新たな収益をもたらす重要なサービスと位置付けているからです。
そして、ここには交通事業社側の思惑も絡んでいます。MaaSを実現するにはMaaSアプリを用意する必要がありますが、独自MaaSアプリの開発にはかなりのコストがかかりますし、そのMaaSアプリを利用者にインストールしてもらうことも、思った以上にハードルが高いのが実情です。しかしLINEやPayPayと組めば、多くの人が利用しているアプリ内にMaaS機能を盛り込めますので、専用アプリのインストールが不要となりますし、アプリ開発コストも抑えられることになります。
コロナ禍を受けて、安価に非接触の決済手段を導入したいと考えていたり、収益を高める新たなサービスのひとつとしてMaaSの導入を考えている交通事業社は多いはずです。そういった意味で、クレジットカードのタッチ決済はもちろん、MaaSとの親和性が高いQRコードや顔認証を新たな決済手段として取り入れる交通事業社は、今後も増えていくと考えていいでしょう。