2012年7月6日8:00
JCBカードの50年の歩みを振り返る(1章の1)
ジェーシービーは、2011年1月25日に創立50周年を迎えた。同社ではそれを記念して社史「JCBカードの半世紀」を刊行した。1961年に日本クレジットビューローとして誕生した同社では、1981年には海外展開を開始。現在は、約8,000万人の会員と2,200万件以上の取扱店契約を有している。ペイメントナビでは、「JCBカードの半世紀」をベースに日本のクレジットカードの歴史を数回に分けて振り返る。
①日本クレジットビューローの設立
JCBの前身となる日本クレジットビューローの設立総会が開かれたのは、1961年1月25日。設立母体は、三和銀行と日本信販の2社で、資本金2,500万円は両社が折半で出資した。2月には加盟店の整備に着手し、3月には会員の申し込み受付けを開始した。カードの発行は、1960年12月に設立された日本ダイナースクラブとほぼ同時期であった。それまで月賦専門店などによる割賦販売が主流だったが、汎用カードのパイオニアとしての第一歩を踏み出した。
JCBが設立されて4カ月後の1961年5月、三和銀行は大阪信販と提携し、大阪クレジットビューロー(OCB)を設立。東京と大阪に別会社を立ち上げ、兄弟会社として全国展開をスタートしている。
②米国から学んだ「プラスチックカード」
設立当初のJCBは、入会基準を中小企業の経営者、上場会社の部課長、官庁の課長以上と定め、1,000円の入会金を設定。また、三和銀行の取引先企業を対象に法人カードの募集を行っている。月間の使用限度額は「30万円以内」と、当時の所得水準からみて高めとなっている。また、加盟店での販売限度額は、当初1回あたり10万円以内に設定。会員のカードの有効期限については、1年となっている。
カード先進国の米国では、本格的にクレジットカードの素材がすべてプラスチックとなったのは1950年代の後半だが、JCBでは日本初の汎用カードにプラスチック製をいち早く採用。同カードは、デザインが印刷された両面2枚のプラスチックのセンターコアの表面にサイン(必須)と捺印(任意)を記し、それを2枚の透明プラスチックで挟み、ラミネート加工している。後に日本では、さまざまなクレジットカードが発行されたが、サインや印影をラミネート加工でカードの中に封じ込めたのは、当時のJCBカードのみであったそうだ。
なお、JCBカードのサイズは米国のラミネーティングマシーンの規格にあわせ、最初のカードサイズを縦54ミリ×横86ミリに設定した。これは、日本のカードを国際標準へスムーズに移行させることにもつながったという。
③汎用化、国際化を基本姿勢に
JCBは、日本に誕生した純国内資本によるクレジットカード会社である。JCBの設立から後年、多くの銀行系カード会社が誕生したが、同社ではそれまで育ててきたJCBブランドを開放し、他行の資本参加を得てJCBカードの汎用化・大衆化を図った。
会社設立時の入会申込書にも「外国旅行もカード1枚で」と記載されている。その当時、国内では海外用カードの発行は認められていなかったが、JCBでは早くから海外に目を向けていたそうだ。JCB設立から3年後の1964年4月、国際カードの発行条件も緩和され、1人当り年間500ドル(18万円)を限度に、観光渡航者へのカード発行が認められた。
また、JCBは設立当初から米国の大手カード会社であるアメックスとの接点を持っていた。当時、世界的にネットワークを広げていたアメックスと提携することで、カードの国際流通性を高める狙いがあったそうだ。1965年9月には日本国内における加盟店の相互開放が行われ、1967年8月には日本人の海外渡航者向けに「JCB-アメックス国際カード」の取り扱いを開始している。
④口座振替制度の導入
JCBは、さまざまな日本的なカードシステムやノウハウを開発している。なかでも1961年3月の営業開始から、民間企業として初めてカード利用代金の回収に、銀行預金からの振替制度を取り入れた。会員には預金口座を開設してもらい、そこから代金の引き落としを実施。加盟店も売上代金の入金口座を三和銀行に開設することを条件にした。
同制度の導入にあたっては、民間企業が口座振替を行う前例がなかったため、「原則として個人当座預金を使用する」という条件付きだったが、この“原則として”は2~3年後に事実上消滅し、以降カード代金は普通預金からの引き落としが一般化した。
現在、国際的にみても日本の口座振替制度は信頼性と普及度は極めて高いが、諸外国よりも早く口座振替制度の扉を国内で開いたのは紛れもなくJCBである。